大判例

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大阪地方裁判所 昭和51年(わ)1464号 判決

主文

被告人を懲役五年に処する。

未決勾留日数中二〇〇日を右刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和四一年四月関西大学工学部金属工学科に入学した者であるが、同大学においても同四三年暮から同四四年にかけて学園紛争が起り、被告人も同年春ころから関西大学全学共闘会議系の学生と行動を共にするようになり、同年一〇月初旬ころからは親元を離れ関西大学全学共闘会議の救援対策連絡場所である大阪市内淡路の杉江食堂などに寝泊りするようになつた。

同年一一月一三日大阪市北区の扇町公園においていわゆる佐藤首相訪米阻止の集会及びデモが行われ、その際の学生デモ隊と機動隊との衝突で岡山大学の学生糟谷孝幸が死亡するという事件が発生したが、被告人は右糟谷は検挙した寝屋川警察署の警察官により虐殺されたものであると確信し、警察に対しこの事件の報復をしなければならないとひそかに考えるに至つた。被告人は同月一五日夜、大阪府豊中市庄内栄町三丁目一六番二二号所在の金栄ハウス二階二八号室に島岡正憲を訪ね、右事件について同人と話し合ううちその報復のためかねて同人が大阪大学石橋学舎理学部新村研究室において製造し右アパートに隠匿所持していた爆弾を使用して寝屋川警察署を襲撃するということに話がきまり、ここに同人との間に寝屋川警察署襲撃の共謀が成立した。翌一六日昼前ころ被告人は同人を同乗させニツサンサニーライトバンを運転して途中購入した寝屋川市の地図をたよりに寝屋川警察署付近に赴き、同署周辺の状況などを踏査したうえ、同日夕刻同人方にもどり、襲撃の際の自動車を止める位置、爆弾を投げる場所、逃走経路などについて同人と綿密に打合せをしたのち、同人と協力して、前記のように、かねて同人が同人方押入れに隠匿保管していた長さ約二二センチメートル、直経約1.9センチメートル灰色ビニールでコーテイングされた鋼管内に塩素酸カリとピクリン酸との混合物を詰め込み一方の端を土及びアルミキヤツプでふたをしたものに、濃硫酸入りの試験管を他方の端から入れアルミキヤツプでふたをしていわゆる鉄パイプ爆弾(以下、「鉄パイプ爆弾」と略称する。)一五本を完成させ、三本を一束にして五束としさらに襲撃の目的を明らかにするため同人とともに罫紙の裏にマジツクインキで「君のした事は君自身の首をしめる事、彼を殺したのは帝国主義者という支配者、目覚よ、そして君も支配されている一個の人民でしかないことを知れ!」「虐殺抗議赤軍」「血の復讐赤軍」等と書いたビラ七枚を作成した。被告人と同人は、同日午後一〇時半ころ前記金栄ハウスを出て前記鉄パイプ爆弾は段ボール函に入れ爆弾の間に脱脂綿などをつめて衝撃で爆発しないようにしたうえ同人が持ち、被告人が前記車を運転して寝屋川警察署へ向つた。翌午前一時ころ被告人らは寝屋川警察署の裏側にあたる同市豊野町二六番二号の阿久津方前付近の路上に至り、同所に自動車を止め、それぞれかねて用意していた女性用黒ストツキングをかぶつて覆面したうえ、被告人は二束、島岡は三束の前記鉄パイプ爆弾を持ち、右阿久津方と同町二四番一〇号の波多野方の間の排水溝を通つて同町二五番四号の豊野住宅に入り同町二六号所在の寝屋川警察署に南接する同住宅広場北東角に至り、同所に前記ビラ七枚をまいたのち治安を妨げ人の身体財産を害せんとする目的をもつて、同日午前零時一〇分すぎころ、寝屋川警察署長警視橋本求馬が管理し、現に人の住居に使用しかつ寝屋川警察署警部上田稔ほか一七名の警察官が現在していた大阪府寝屋川市豊野町二六番二六号所在の寝屋川警察署庁舎正面玄関前及び南側通用門内などにむけて右鉄パイプ爆弾五束一五本を被若人において二束、島岡正憲において三束それぞれ投付け、もつて爆発物を使用するとともにこれを爆発させて現に人の住居に使用しかつ人の現在する同署庁舎一階玄関及び三階のガラス壁及びガラス窓合計五枚を破壊して建造物の一部を損壊するとともに、右暴行により相原岩夫ほか七名の警察官の別紙一覧表(一)記載の各職務の執行を妨害し、さらに田島清美ほか六名に対し、破裂した鉄片を突刺させるなどし別紙一覧表(二)記載のとおりの各傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)〈略〉

なお、本件公訴事実中、上田稔ほか九名に対する公務執行妨害罪の点について判断するに、〈証拠〉を総合すると、当直管理責任者警部上田稔は昭和四四年一一月一七日午前零時前ころまで寝屋川警察署公かい受付付近で部下の指揮監督の任務についていたものの、零時ころからは同署三階宿直室に赴き仮眠していたこと、捜査係巡査長満生英孝は同月一六日午後一〇時ころから庁内巡視をしたのち公かい勤務をしていたが翌日午前零時ころからは同署一階パトカー待機室に行き書類処理中の三嶋荘一郎巡査に話しかけたりしつつ休憩待機していたこと、交通外勤係巡査部長田島清美は同月一六日午後一一時ころから交通事故係の河原亜和起巡査、藤枝満巡査とともに同署二階交通事故係室において、当日発生した物損交通事故につき関係者から事情聴取していたが、翌日午前零時五分ころ事情聴取が終り関係者全員が帰つた後は、河原亜和起巡査及び藤枝満巡査が同室においてそれぞれ書類整理をしているかたわらで同人らに右物損事故に関して雑談的に話しかけていたこと、警ら係巡査山下洋幸及び同久留勉は同枩下明及び同伊藤裕文と交替で同署の特別警戒勤務についていたものであるが、同月一六日午後一一時から翌日午前二時までは休憩時間でありいずれも同署三階宿直室において同日午後一一時二、三〇分ころから仮眠していたこと、パトカー勤務巡査西山守及び同篠田清彦は同三嶋荘一郎とともにパトカー勤務につき警ら後同日午後一一時より休憩に入りいずれも同日午後一一時三、四〇分ころから同署一階パトカー宿直室において仮眠していたこと、警備係巡査堀江伸一は同日午後一〇時ころから翌日午前零時ころまで電話勤務に従事していたが、交代時間がきたので午前零時五分ころ警務課巡査部長佐藤兼治に電話受付を頼み本件発生当時は二階休憩室に行く途中であつたこと、警ら第一係巡査部長内野岬及び捜査係巡査佐藤欣也は一六日午後八時から午後一一時ころまで内駐岬巡査部長が公かい勤務、佐藤欣也巡査が通信勤務についたが、翌日午前三時の勤務にそなえて内野岬巡査部長は午後一一時一五分ころ、佐藤欣也巡査は午後一一時五〇分ころそれぞれ同署三階宿直室に行き仮眠していたことが、それぞれみとめられる。ところで、刑法第九五条第一項の公務執行妨害罪における保護の対象となるべき職務とは、公務員が勤務時間中にあることを、漫然と抽象的、包括的に職務として捉えるべきものではなく、具体的、個別的に特定される内容の職務が存在することを要すると解すべく、同条項にいう「職務ヲ執行スルニ当リ」とはこの具体的、個別的に特定された職務の執行を開始してからこれを終了するまでの時間的範囲およびまさに当該職務の執行を開始しようとしている場合のように当該職務の執行と時間的に接着しこれを切り離し得ない一体的関係にあるとみることのできる時間的範囲を指すものであると解すべきところ(昭和四二年(あ)第二三〇七号同四五年一二月二二日第三小法廷判決・刑集第二四巻一三号一八一二頁参照)、前認定のとおり当直管理責任者警部上田稔、警ら係巡査山下洋幸、同久留勉、パトカー勤務巡査西山守、同篠田清彦、警ら第一係巡査部長内野岬及び捜査巡査佐藤欣也はそれぞれ仮眠中であり、勤務時間内とはいえ具体的、個別的に特定された職務を執行していなかつたことは明らかであり、さらに捜査係巡査長満生英孝は一七日午前零時ころまでは公かい勤務をしており職務を執行していたといえるものの、その後は休憩のためパトカー待機室に行き巡査三嶋荘一郎に話しかけたりしていたにすぎないこと、交通外勤係巡査部長田島清美についても物損交通事故の関係者からの事情聴取完了後、雑談をしていたにすぎないこと、警備係巡査長堀江伸一も電話勤務を離れ休憩室に行く途中であつたことから、右三名についても本件発生当時、具体的、個別的に特定された職務の執行に従事していなかつたことは明らかである。検察官は、第一回の爆発後庁内にいた警察官全員が犯人検挙、現場保存、庁舎内外警戒の任務についた後さらに第二回以降の爆発により右の公務の遂行が阻害されたことをとらえて公務の執行を妨害したものであると主張するのであるが、いうまでもなく、公務執行妨害罪が成立するためには公務の執行が犯行行為に先行する形で存在することが必要であり、当該犯行行為に対する捜査活動がその後発生した当該犯行行為の結果によりたまたま阻害されたというだけでは、当該犯行行為が公務執行妨害罪の定型性を帯びることはありえないというべく、右主張は採用できない。

したがつて、本件公訴事実中上田稔ほか九名に対する公務執行妨害罪は成立しないが、これらは判示爆発物取締罰則違反、激発物破裂、相原岩夫ほか七名に対する公務執行妨害及び田島清美ほか六名に対する傷害の各罪と観念的競合の関係にあるとして起訴されたものと認められるから、主文において特に無罪の言渡をしない。

(弁護人の主張に対する判断)〈略〉

((法令の適用)〈略〉

(量刑の理由)

本件は、前判示の如く、佐藤首相訪米阻止の集会及びデモが行われた際、学生デモ隊と機動隊との衝突により岡山大学学生糟谷孝幸が死亡した事件に対する報復として手製の鉄パイプ爆弾一五本を寝屋川警察署庁舎正面玄関前付近に投げつけ、右爆弾の爆発により右庁舎の一部を損壊したほか七名の者に入院二二日を含む休業加療三六日間から全治三日間の傷害を負わせたものであるが、右爆弾は少くとも半径一〇メートル以内では充分殺傷能力を有し、現場から約二〇メートル離れた所にあつたトタン塀をも貫通するなどかなり威力の大きいものであり、爆発音も大きく、周辺の住民に強い恐怖感を与えるとともに、当時学生運動が激化、尖鋭化していた折から襲撃されたのが警察署であつたこともあり社会の耳目を集めたものであり、犯行の態様、動機ならびにその社会的影響に照し、極めて重大な犯罪であるといわなければならない。また、本件以後も過激派によるこの種の犯行が多発し、善良な一般市民をも巻き込むなど悲惨な結果を招来してきている点にかんがみるとき、一般予防の見地からも被告人らの罪責はきびしく追求されるべきものといわなくてはならない。のみならず、本件犯行後、被告人は東京方面に逃走、昭和五一年四月一七日相模原警察署に出頭するまで約六年半の長きにわたつて逃亡生活を続け、その間雑誌「序章」に「寝屋川署襲撃には道理がある。」との題名の文章を実名で投稿、さらに新聞社など三〇箇所以上に対し本件犯行に関する文章を郵送するなど自己の犯行を正当化するなどの挑戦的な言動をくりかえしており、犯行後の行状という点でもきわめて悪質なものがあるといわなくてはならない。

しかしながら、本件犯行の主謀者は共犯者の島岡正憲であり被告人は同人に同調し、追従的に行動したものにすぎないと認められること、及び被告人等の本件犯行は判示のごとく被告人等両名の突発的な計画によるもので、所謂過激派学生の集団的な犯行の一環として行われたものと考えられるような背後関係が存在することは認められず、判示のごとく多数の被害者が出ることになつたのは、捜査官が最終爆発弾をその爆発直前に発見しながら、これを不発弾と誤認して、突嗟の留意を欠いた際に爆発受傷しているものであること、被告人は約六年半にわたる逃亡生活においては、肉親などとも一切連絡を断ち、ひたすら捜査当局の目を逃れるべく偽名を用い、職業や住居も転々とかえ孤独と恐怖におののきながら日を送つていたものであり、犯罪者として当然の報いとはいえ、その間の被告人の苦しみは一種の社会的制裁と評価すべき一面もあり、逮捕勾留後も、共犯者が島岡正憲であることを除いては、本件犯行につき一切を自白していることや当公判廷における被告人の態度等から被告人には悔悟反省の色も十分にうかがえるなどを総合すると、前科前歴のない被告人に対しては酌量減軽したうえで懲役五年に処するのが相当と考えられる。

よつて、主文のとおり判決する。

(山中孝茂 日比幹夫 上垣猛)

別紙

一覧表

(一)

番号

階級

氏名

爆発当時の職務内容

1

巡査部長

相原岩夫

署内警ら幹部室において派出所備付簿冊中警察公報つづり、手配関係つづり、品触つづり、執務資料つづり雑書つづりの内容点検、整備中

2

巡査部長

中井孝

署内警ら幹部室において「外勤勤務員勤務実態記録カード」を浄書中

3

巡査部長

佐藤兼治

署内一階電話室において通信勤務中

4

巡査

河原亜和起

署内二階事故係室において寝屋川市桜木町で発生した物損交通事故の受理簿の整理中

5

巡査

藤枝満

署内二階事故係室において交通事故統計原票の作成中

6

巡査

枩下明

署内一階公かいにおいて公かい勤務中

7

巡査

伊藤裕文

庁舎警備勤務で庁内巡視中

8

巡査

三嶋荘一郎

署内パトカー待機室においてパトカー勤務日誌等の作成及び交通反則切符の整理中

別紙一覧表(二)〈略〉

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